A still moment (泰然)




「すみません岩城さん、本当に!!」
泣きそうな顔で、若いADがぺこりと頭を下げた。
「ああ、いいですよ。不可抗力なんですから、気にしないでください」
「でも、こんなに待たせてしまって・・・」
ADは申し訳なさそうに、がっくりと肩を落として俯いた。
「本当にもういいですって、園田さん。交通事故なんだから、
あなた方のせいじゃない。とりあえず怪我人がいないって言うなら、
不幸中の幸いじゃないですか」



岩城京介の舞台デビューとなる、××原作の幻想奇譚「黒百合の葬列」。
最近ブームの首都圏再開発で、鳴り物入りでオープンした壮麗な××
劇場のこけら落とし公演である。
初日を一週間後に控えたその日、リハーサル会場は、異様な緊張に
包まれていた。
若き主人公を演じることになっている新人俳優が、朝もやの立ち込める
早朝の都心でバイク事故を起こしたのだ。
大型トラックと出会いがしら衝突しそうになり、あわやというところで
ハンドルを切って、何とかよけたのはいいが。
そのままバランスを崩して横転し、濡れそぼった路面を滑って開店前の
レストランに突っ込んだという。
幸いにも、歩道に人通りがなかったので加害者になることは免れ、
装着していたヘルメットのおかげで、目立った怪我もなかったらしい。
検査入院はそれでも必須で、警察の捜査が始まったこともあり、
しばらくリハーサルどころではないという。
その連絡に、現場スタッフは激しい動揺を見せた。



「だからバイクは危ないって、あれほど・・・!」
「本当に、検査ぐらいで済むのか」
「最近の新人は、これだから・・・」
「今から代役立てるなんて無理よ、初日まで一週間なのに!!」
手持ち無沙汰な共演者たちは、ひそひそ話に余念がなかった。
スタッフの怒号が響き、不安なざわめきが木霊する。
がらんとした客席が重圧となって、製作サイドにのしかかる。
息苦しい、騒然とした混沌。
誰もが寄り集まり、落ち着かない顔つきで周囲を見渡していた。



ただひとり、岩城京介だけが超然としていた。
稽古を重ねるうちに、いつのまにか定位置となった大道具置き場の前。
あてがわれた折り畳みの椅子に座り、一心に脚本に目を通す。
ゆったりと深く腰かけ、微動だにせず。
右手を口元に添えて、まるで台詞をひとつひとつ音読するかのように。
周囲の騒音など、まるで耳に入っていないほど集中して。



「岩城さんって・・・!」
アルバイトの助手が気づいて、感嘆の声を上げた。
「なんだ?」
「いつもとまるで変わらないって、凄いですよね」
「ああ、岩城京介か」
年配のスタッフが、小さく肩をすくめた。
「連ドラのスタジオ撮影でも、あんな感じらしいぜ」
「そうなんですか?」
「どんな時でもああして、脚本を手放さないってさ」
「・・・へえ」
ひたすら感心して、アルバイトは頷いた。
「そういえば岩城さんって、台詞に詰まったことないですよね」
「あるもんか」
ひょいと片眉を上げて、年上の男が笑った。
「誰の台詞でも言えるぐらい、脚本まるごと頭に入ってるって話だ」
「プロですねえ」
「ま、そうなんだろうな。完璧に覚えて来るんで、共演者にはときたま、
煙たがられるらしいけどな」
「あはは、それってやっかみじゃないですか」
「そりゃそうさ。姿勢は立派だが、常に演技にアドリブを求めるタイプの
監督だと、さすがの岩城京介も苦労するんじゃないか?」
「ああ、なるほど。確かにバラエティ番組なんか、苦手っぽいですよね」
「そういうこった」



そのとき、ドアが開いて監督が顔を覗かせた。
「おはようございますー」
「お疲れさまです!」
「あの、××はどうなったんすか!?」
矢継ぎ早の質問に、監督は首を振った。
「まだ何も決まってない。とりあえず、今日のリハは中止だ」
「ええーっ!!」
「それって、この公演自体中止ってことっすか!?」
ざわめきは、焦燥を伴っていっそう大きくなった。



それにようやく気づいたように、岩城は脚本から目を離した。
脇に控えているマネジャーに、ちらりと視線を向ける。
彼女は無言のまま、ただはっきりと頷いた。
それを見て、岩城はすらりと立ち上がった。
かつかつと靴の音を響かせて、しなやかに人だかりに近づく。
「あれ、岩城さん・・・?」
長身痩躯の岩城を、誰もが固唾を呑んで見守った。





おわり (続く・・・?)

2008年1月11日

藤乃めい


Thanks!
1月に書いたお話なのに、3月中にアップできなかったのが悔しいです(笑)。お仕事モードの岩城さんって不思議。美人だなあと思ったり、いい男だなあって見惚れたり。いろいろ思うけど、でもちょうどこのイラスト「幕間(まくあい)」のように、端からそおっと見てるだけで満足なんですね(笑)。触れたいと思う岩城さんはやっぱり、プライベートの彼なんだなあ・・・と、実感する絵だと思います。
Uploaded 20 April 2008




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